電車の中でのできごと

私は、三が日は毎年同じようなスケジュールをこなします。
家族との新年会、初売り、高尾山登山。

ところが、昨年は少々体調がよくなかったため、初売りも高尾山登山もパスでした。
そして昨年内に高尾山に行こうと思ってはいたものの、スケジュールと天候、体調の不協和音により、結局1度も行かれませんでした。

今年は、元日に家族との新年会をし、その時に「明日は高尾山に行ってきます!」と宣言しておきました。
宣言してしまえば、行かないわけにはいきません。
これは、よく言われることですが、「宣言をする」ことは、何か新しいことを始めたり、ダイエットをする、禁煙をする、などにも有効です。

高尾山から富士山を拝む

さて、2日の朝、お天気も良さそうでしたので水筒とおやつをバッグに詰め、京王線で高尾山口駅に向かいました。
電車に乗っている時間は、私にとっては人間観察(お勉強)の時間でもあります。

私の座席の前に20代の女性二人連れが立ち、お喋りをし始めました。
一人はスっと立っていましたが、もう一人は吊革につかまってグニャグニャと身体をよじったりしていて落ち着きがありません。
身体をゆらゆらしているので、彼女のコートの裾が、私の隣に座っている、おそらく高尾山を目的地としている老婦人の抱えるリュックすれすれに行ったり来たりしています。

するとその老婦人、聞こえるか聞こえないかの声でブツブツと文句を言い始めました。そして、決してコートの裾に自分のリュックを触れられてたまるか!と言わんばかりにリュックを胸に抱え込みました。
コートの裾は、面白いほどリュックのほんの少し手前をゆらゆらしています。決して触れてはいません。
ところが、まるでリュックを叩かれたかのごとく、老婦人は怒りのセリフをブツブツ言っています。
それでも隣に座っている私がやっと聞き取れるほどの声量なので、電車のガタンゴトンの音にかき消され、当の本人には聞こえていないはずです。

言いたいことがあればハッキリ言えばよいのにと思いつつも、しかしコートを着た彼女は具体的に何をしたわけでもないので文句を言われる覚えもないわけです。
そもそも、私の老婦人は何がお気に召さなかったのか?それすらよくわかりません。
新年早々、高尾山にご利益を求めて登るのであれば、そんな小さなことに目くじら立てて怒りの感情のまま登るよりも、もっと清々しい気持ちで登った方がよいのに、と思ってしまいました。

けれど後から考えてみたら、まったく見ず知らずの私がそんなことを考えるのも余計なお世話かもしれない、と我ながら可笑しくなってしまいました。
本当に電車の中ではいろいろな人を見かけます。
そういう私を、ほかの人はどういう目で見ているでしょうか。

そんなことも考えたら、ますます可笑しくなってしまいました。
皆さんは、人から自分がどう見られているか、考えることはありますか?

人からどう見られているか、考えすぎてもよくありませんが、多少は考えた方が良いのではないか、と私は思います。
それは、全く気にしないよりは、少しは気にしたほうが自分自身の向上のために必要なことだと思うからです。

かと言って、いつもいつも「人からどう見られているか」ばかりを気にしていたら、本当の自分を見失ってしまいます。
その辺の加減(塩梅)が難しいところですね。


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